母が手にした数珠が切れた…それは命の時間を知らせるメッセージでした
人が亡くなる前の「お知らせ」というのはある、と私は思います。
そのお知らせが親しい人や当人の上に訪れるタイミングは、
亡くなる日のおよそ二日前であるということを、私はこれまでに何度か経験してきました。
私の母は、自分の死の二日前に「私はもう長くない」と言って祖母にお別れまで告げていましたし、
(母は人の生死を予知するサイキックであったため、自分の死も当然知覚していました)
父はその夜、一晩中障子が規則的にカタカタと揺れる不思議なラップ音を聞いていました。
また、父が亡くなる二日前には、タロットが床に落ちていてその旅立ちを知らせてくれました。
参考ブログ記事
タロットが教えてくれた父の旅立ち
ただ、そういった 死の間際に対するお知らせとは別に、
「人生の幕を閉じる日が近いですよ、急いで仕上げにかかりなさい」という
人生の締めくくりを促すお知らせがもたらされることも、あるんじゃないかと思うのです。
母の手にしていた数珠が切れた!
母はとても信仰心の厚い人で、いつも何かにつけ仏壇に手を合わせていました。
そんな母の亡くなる半年ほど前から1~2か月に渡って、
奇妙な現象が何度か続いたことがあります。
仏壇の花瓶に亀裂が入り、もう水も入れられない程ひび割れてしまったり
仕方がないので買い換えたら、また同じことになってしまったり。
もちろんただ置いておくだけで、特に落としたり手荒に扱ったりしたこともありませんでした。
かと思えば、急須の注ぎ口が突然、根元からポロッと取れてしまったり……。
その頃、私の化粧ポーチに内蔵されていた鏡がパックリ割れてしまったこともありました。
これもただ置いてあっただけのものです。
また、ハサミを使っていたら、これも根元から折れて分解してしまいました。
包丁もしかり。使っていたら、突然柄の部分が取れてしまいました。
「え―― っ、これも?」
「またあ~~~~!!?」
当時は、そんな言葉がしょっちゅう私の口から飛び出していたものです。
そしてある日、母が仏壇に向かって手を合わせていた時のこと。
母が手にしていた念珠が突然切れて、数珠玉がバラバラバラッと畳に落ちたのです。
私自身もパワーストーンブレスなどの輪っかモノではよくこういう現象が起こりますが、
さすがに母も私も、この時は血の気が引き、ちょっと怖いなと思ってしまいました。
これが後に「母の命の終わりを告げるお知らせ」だったのだなあ……と分かることになるのです。
それは人生の総仕上げを促す霊界のサインだった?
今にしてみれば、それは奇妙ながらもありがたい「霊界からのサイン」であったように思うのです。
こういうお知らせが訪れる人は、実際はそれほど多くないのではないでしょうか。
母はそれだけ、この人生の目的をきちんと全うし、天に還ることを求められていたのかもしれません。
再婚相手からのDVに苦しめられ、精神衰弱状態に陥った母はとうとう自殺未遂をしてしまうのですが、
本当は未遂ではなく、その時に一度死んでしまっていたのではないか?と私は推測しています。
回復した後に母が語った話によれば、「一瞬で自分のカルマや課題を思い出した」とのことですが、
それは死の間際に訪れるという、“走馬灯のような人生回顧”を実際に体験したからではないか、
――そんな風に思えてならないのです。
死の淵から生還した母は、天の恩寵によって
「まだ果たし切れていない課題」に再び取り組むための時間を与えられたのではないか……
母に与えられたのは、4年という時間。そしていよいよそのタイムリミットが迫ってきたことを、
霊界は、あの手この手を使って教えてくれていたのではないか?と思うのですね。
母にまつわるエピソードは本当に書ききれないくらい色々とあるのですが、
この母の元に生まれたことは、私にとって「重要な計画の一部」であったような気がしています。
こうした体験の数々を 私自身がしっかり昇華し、きちんと霊界の存在を示せるように、
また、それを必要とする方々にちゃんと伝えることが出来ますように、と心から願っています。
■ 霊界通信のデモンストレーション参加時の様子が、会場側のブログに公開されています。
ご先祖か、前世か? 花魁からのメッセージ。/IIS 国際スピリチュアリズム協会 NEWS
電子書籍よりは少し簡略化していますが、こちらの姉妹ブログにほぼ同内容をまとめました。
ご興味がある方にはぜひ読んで頂きたいと思います!(別ブログの記事が開きます)
幕が上がる時「本当に母が死ぬ日」:chapter1