それは本当に星のせい?占いにのめり込むほど人生ルートを外れる罠
「私、月が傷付いているからメンタル弱いし、土星の影響が強く出るタイプなんです」
――そんな表現でほとんどが埋め尽くされてしまっている会話に、時々出くわします。
私自身、占い好きが高じて、今こうして占いに関する仕事をしてはいますが、
かといって、「占星術」という術や学問自体にのめり込んでいる訳では決してありません。
なのでこういう専門用語だらけの会話に出くわすと、ついついアレルギー反応が出てしまいます(笑)
「今の話を一般的な言葉に置き換えて、もう一度自分自身のことを説明してみて」といったら、
きっと彼女は何も言えなくなってしまうだろうな……と思うと、少々寂しさも感じてしまいます。
今、こうして生きているこの現実世界で幸せになることを目指し、私たちは生まれてきています。
それならば、まずは現実をきちんと見つめるための視点を磨くことが、幸せへの近道だと思うのです。
考えてもみてください。この大宇宙をめぐる星々が、どうしてあなたの心を痛めようとするでしょうか?
あなたが苦しい原因は、抱えているそのコンプレックスを「自分で認めたくない」からなのではありませんか?
星の配置だけで人間を語ることなんて、決して出来ません。
それに、星が「自らの意志を持って人に影響を与える」ことも、絶対にありません。
私たちは、人生計画の実行にベストな星の配置を自ら選んで生まれてくる
実際のところ、私は占い師ではあっても、占星術の専門家や研究家といった類ではありません。
もしもそうした方々を「料理研究家」「管理栄養士」のような立場だとするならば、
私はさしずめ、大衆食堂のオバチャンといったところでしょうか(笑)
「計量とか彩りとか小難しいこと言ってないで、お腹空いてんならとにかくこれ食べな!」
なんてドーンと背中を叩いて『おふくろの味』を差し出すオバチャン――それが私。
研究家には叱られそうですが、それで誰かが助かるのなら、別に構わないんじゃないかな?
鑑定の現場で私が見ているのは、ホロスコープを通したその人自身の人生への向き合い方であり、
「チャートに示されたデータの分析や解説をしている」訳ではありません。
ですから必要最低限の占星術用語を使うだけでも充分です。むしろ、専門用語でごまかしたり
目の前にいる人をデータとして扱ったりすることは、絶対にあってはならないと思っています。
私たちの人生は、生まれた時の星の位置によって傾向付けられている――のではなく、
「こういう人生を生きたいから、この配置の元に生まれよう」と、
最初から自分で決めてこの世にやってくるのです。つまり、始めに魂の計画ありきだということ。
「ホロスコープの中に人生があるのではなく、人間がいるからホロスコープが存在する」
いわば、ホロスコープは人生の設計図。そこにどれだけ彩りを添えるかは自分次第です。
占いに振り回されるのではなく、占いをナビに自分の意志で歩いて行こう
そういう意味で私たちは、「自分の人生」を生きることに責任を持たなければなりません。
生きていくということは決して楽なことではありませんが、
それでも私たちは、自ら願ってこの地球上に生まれてくるのですから。
冒頭の例で言えば、ただ単にチャート上の記号だけを見て、
「月がハードアスペクトを取っているから傷付きやすい=土星(試練)に弱い」
といった分析的な解釈をするだけにとどまらず、
「傷付くことが多い人生を選んで生まれてきたのはなぜなのか」、さらには
「そこから本物の強さを学んで身に着けるために、傷付くことを経験する必要があったのだ」
ということを現実の生活の中に見出し、チャートを乗りこなしていって欲しいと思うのです。
その過程で、もしも道を見失ったり、進むことを恐れて立ちすくんだりしてしまったら――
その時こそ、ホロスコープの中に散りばめられた数々のヒントが大いに役に立つはずです。
そして私は、そんな人々の背中をそっと押してあげられたらいいな……
なんて密かに願っているのですが、果たしてうまくいくかどうかは分かりません。
なんたって、食堂のオバチャンですからね(笑)
それでも私のこれまでの経験が、もしかしたらどこかで誰かの役に立つかもしれない。
そんなことを思いながら、こうして細々と記事を書いています。
あなたの人生が輝きに満ちたものになりますように……地球の片隅からひっそりと、
私に出来る、精いっぱいのエールを送り続けたいと思います(笑)
(別ブログの過去記事より、こちらに再掲しています)
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