もしも、祈りや願いが叶えられるとしたら――
本屋さんに行くと、そんな内容を思わせるタイトルの本をたくさん見かけますよね。
もう既に願いが叶ったという「過去形」で願いごとを書き出す、とか
本当に出来事を体験している気持ちでビジュアライゼーションする、とか。
私自身、頭の中でシュミレーションしていたことが現実となってびっくり!
――というようなことは本当に数えきれない程経験しています。
なので、そういった想いの力の存在や効果は信じているのですが、
それが単なる「欲しいものを手に入れるための手段」となってしまうことには怖さを感じます。
だから私は鑑定の場において、引き寄せや開運指南のようなことは全くしていません。
何が何でも叶えたい、という思いは我欲となって執着心を生んでしまいますし、
これまでの積み重ねによって招いた事柄(カルマ)を、
神様やご先祖様に祈るだけで解消出来る、などということは決してありません。
身の丈に合ったものは、必死になって引き寄せなくても必ず手元にやってきます。
反対に、ムリヤリ叶えた願いは必ずエネルギーの歪(ひずみ)を生み出すでしょう。
すべきことだけをきちんとして、その後は天に采配を任せるだけでいいと思うのです。
願うときに一番大切なこと
何かを願うとき、大切なのはその願いの「動機」の部分です。
誰かのために、何かのために。そこに利己的なものが含まれるのではなく、
その願いが叶えられることによって、みんなが幸せになれるかどうか。
そんな「愛の心」から発せられた願いは、不思議と即座に叶えられたりします。
※私のちょっとした体験談です。⇒「神様の仕業は、いつもびっくりします(笑)」
タイトルに書いた、「祈ることは要求することではありません」とは
シルバーバーチという高級霊(いわゆる指導霊)が伝えて来たメッセージのひとつですが、
これは本当に大切な言葉だと、私は思っています。
(書籍も出ていますので、興味のある方はぜひ読んでみてくださいね)
――以下、別のサイトさんの記事からの引用です。
真の祈りにはそれなりの効用があることは事実です。
しかし、いかなる精神的行為も、
身を以って果さねばならない地上的労苦の代用とはなりません。
祈りは自分の義務を避けたいと思う臆病者の避難場所ではありません。
人間として為すべき仕事の代用とはなりません。
責任を逃れるための手段ではありません。
いかなる祈りにもその力はありませんし、
絶対的な因果的連鎖関係を寸毫も変えることは出来ません。
(中略)
あなたを悩ます総ての問題と困難に対して、
正直に、正々堂々と、真正面から取り組んだ時、
解決のために有りったけの能力を駆使して、それでも力が及ばないと悟った時、
その時こそあなたは何らかの力、自分より大きな力を持つ霊に対して、
問題解決のための光を求めて祈る完全な権利があると言えましょう。
そして、きっとその導き、その光を手にされる筈です。
何故なら、あなたの周りにいる者、霊的な目を以って洞察する霊は、
あなたの魂の状態をありのままに見抜く力があるからです。
例えばあなたが本当に正直であるか否かは一目瞭然です。
(中略)
結局そこまでが人間側からの祈りの正しい在り方であるということで、
それから先のこと、つまりその祈りに対していかなる回答があるかは
神々の決めることであり、それを素直に受け入れないといけないということでしょう。
別のところでシルバーバーチは、
「祈ることは要求することではありません」と言い、
「人間の要求を聞いていると、それをそのまま叶えてあげたら、
かえって好ましい結果にならないようなことばかりです」
と、耳の痛くなることを言っております。
古武士霊は語る (近藤千雄・著 潮文社)
祈りについて(シルバー・バーチの訓え)/一厘の仕組~日月神示の解釈 より
シルバーバーチの言葉は、霊界通信(天上界との交信)によって伝えられたものですが、
その真偽を信じる信じないに関わらず、私はこの言葉の中に頷けるものを感じます。
「私達の住む世界はエネルギーで出来ていて、マインドの創造が現実を創る」
そんな言葉をよく耳にしたりもします。
だからこそ、『引き寄せ』が 願望に対する物質化の手段とされるのかもしれませんね。
それは一部、その通りだとは思います。
けれども、単に望むものを手に入れたいとばかりに その対価を考えもせず、
「ワクワクすることをしよう」「自分の心に正直に」などという言葉が
イヤなことはしなくてもいい、思うがまま好きなようにすればいい、
という意味合いで解釈されることには危惧を感じてしまうのです。
祈っても、もがいても、もうどうにもならない。
そんな中を真剣に人生に向き合い、生きようとしたとき
そこに思いもかけない助け手が現れたり、驚くような解決がもたらされたりする……
もしも祈りが聞き届けられるのだとしたら、神様のやり方はそんな感じだと思うのです。
決して、棚からボタモチのようなものではなく(笑)
いずれにしても、天上界の方々にとっての関心事は
私たちが自分の人生をしっかりと生き、霊的成長を目指すという、ただその一点のみ。
私たちの魂は、そうしていくうちにだんだんとクリアになり、いっそう輝きを増していくでしょう。
今、目の前にあるものは、私たちの「魂の輝き」に応じて現れてくれているもの。
高みを目指せば目指すほど、それに合わせて瞳に映る景色も変わっていくはずです。
――そして、そのことを忘れずに たゆむことなく成長を続けたいと願っている私です^^
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